2009年06月18日

統合失調症(とうごうしっちょうしょう、de:Schizophrenie)

統合失調症(とうごうしっちょうしょう、de:Schizophrenie、en:schizophrenia)とは、妄想や幻覚などの多様な症状を示す、精神疾患の一つ。医学が進歩した今日でもなお治療が困難な病である。日本では、患者に精神障害者保健福祉手帳が交付されることもある。

脳に器質的な障害が発生することによるかどうかは両論あるが、幻覚や妄想などの症状を呈し従前の生活能力が失われてしまう病である。古代ギリシャから似たような病の存在は知られていたが、病因は2008年現在においても不明。病因については、神経伝達物質の一つであるドーパミンの過剰によるという仮説をはじめ、様々な仮説が提唱されている。治療では、1950年代にフランスでクロルプロマジンという薬物が一部の患者に効果があることが発見され、これを契機に抗精神病薬による薬物治療が広く行われるようになった。1990年代後半からの非定型抗精神病薬の使用や、効果的な急性期治療、社会復帰のため福祉施設や法制度の整備などにより、患者の入院期間は短縮されているが、薬物療法が部分的にしか効果を示さず病棟内で長期に生活を継続している患者も少数であるが存在することも事実である。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

元々ドイツ語のSchizophrenieに対する訳語として、日本では明治時代に精神分裂病と訳された。

本来、精神分裂病の「精神(phrenie)」は心理学的意味合いで用いられた単語であり、「知性」や「理性」を現す一般的な意味での精神とは意味が異なる。ところが、「精神分裂病」という名称が日本では「精神が分裂する病気」→「理性が崩壊する病気」と誤って解釈されてしまうケース(統合失調症患者であっても、理性が崩壊するとは限らない)が見られた。患者・家族団体等から病名に対する偏見が著しく強いという苦情が多かった。そこで、2002年に日本精神神経学会総会によって英語のschizophreniaに対する訳語を「統合失調症」にするという変更がなされた。

2009年05月31日

農業協同組合

農業の指導や流通支援、金融活動など、多岐にわたる活動を行う(後述の#事業内容も参照)。また、その規模、組織力は、世界の農協の中でも、有数で特異なものとなっている[1]。

加入者は、大半が零細の米作農家である。そのため、JAは米を中心に活動を行っている[1]。

農林水産省は、最初はJAの存在が本来の農業協同組合のものではないとして否定的であったが、次第に農業政策の下部組織として使うようになる。このため、自発的な会員組織としての性格は薄く、政府を頂点とする上意下達のための組織と見る向きもある[1]。

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農水省との関係 [編集]
農林水産省の出先機関として活動するJAには、いくつかの特権が与えられた。例えば、通常の金融機関は兼業が厳しく制限されているのに対し、JAは幅広い業務を行える[1]。

また、JAは組織率が非常に強力だったため、ほとんどの農家はJAの会員になっており、地方において強力な票田となっていた。この票田としての力を背景に、JAは政治活動を行うことになる[1]。

ただし、金融自由化などがきっかけとなり、農水省は次第にJAと距離を取ろうとする態度に転じていった(金融自由化で次第にJAの特権が無くなる中で、不良債権問題等が出たときの責任を取らされる恐れがあるため。住専問題のときには政治力が行使できたが、JAに票田としての力がなくなってきたため、政治力が行使しづらくなっているという背景がある)[1]。

農政研究者との関係 [編集]
働き口等の関係から、JAの活動を支持・肯定する研究者が多い[1]。

歴史 [編集]
江戸時代の天保期、農政学者・農村指導者の大原幽学が下総国香取郡長部村一帯で興した先祖株組合が、日本における農業協同組合の始まりとされる。一方、近代的意味における農業協同組合の前身は、明治時代(1900年)に作られた産業組合にさかのぼる。太平洋戦争中、生産物を一元的に集約する目的で「農業会」という統制団体に改組された。

戦後の農地改革の一環として、GHQは欧米型の農業協同組合(行政から独立しており、自主的に組織できる)を作ろうとした。だが、当時の食料行政は深刻な食糧難の中で、食料を統制・管理する必要があった。そのため、1948年(昭和23年)、既存の農業会を改組する形で農協が発足した[1]。その際に、「協」を図案化した円形の「農協マーク」が制定された(地方の古い農業倉庫などに「農協マーク」が残っている場合がある)。1992年4月から「農協マーク」に代わり、「JA」の名称や「JAマーク」を使い始める。

2009年04月28日

シモン・カスペ殺害事件

ユダヤ専門家にとって不運なことに、1933年8月、満州の都市ハルビンでユダヤ人ピアニストのシモン・カスペ(Simon Kaspe)の誘拐・殺害事件が発生したのである。この時の日本側の対応が、ハルビン在住のユダヤ人に不信感を抱かせた。

シモンは、ロシア出身のユダヤ人大富豪のヨゼフ・カスペ(Josef Kaspe)の息子で、たまたまハルビンに帰省した際に何者かに誘拐され、同年12月、遺体で発見された。両手の生爪を剥がされ、耳を削がれた上、頭部に銃弾を撃ち込まれるという凄惨なものであった。この様な「制裁」の加え方は現在でも、中華人民共和国となった旧満州地域で偶にみられる。のちに日本人の一味が逮捕されたが、関東軍は、裁判で有罪の判決を下した中国人判事を逮捕した。日本人判事による再審の結果、被告らには10年?15年の不定期刑が下されたが、翌週には特赦により釈放されたのである。

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もはや日本の軍部を信頼できなくなったハルビン在住のユダヤ人(当時既にかなりの人数が在住していた)は、事件の2年後には大半が市外に逃れた。彼らの多くは遠く上海へ逃れ、出会った者達に恐怖の体験を語った。軌道に乗ると思われた計画は、大きな壁に直面した。

1937年に、安江はハルビンで現地のユダヤ人指導者のアブラハム・カウフマン(Abraham Kaufman)らと会談し、「日本人は改心した」と彼らに確信させた。同年12月26日、第1回極東ユダヤ人大会がヨゼフ・カスペ所有のモデルン・ホテルで開かれた。関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ専門家」の安江をはじめ、当時ハルビン陸軍特務機関長を務めていた陸軍少将樋口季一郎らを派遣した。

この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるドイツの反ユダヤ政策を激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。これを知ったドイツ外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップは、駐日ドイツ特命全権大使を通じてすぐさま抗議したが、上司に当たる関東軍参謀長東條英機が樋口を擁護し、ドイツ側もそれ以上の強硬な態度に出なかったため、事無きを得た。

翌1938年1月、関東軍は「現下ニ於ケル対猶太(ユダヤ)民族施策要領」を策定し、世界各地のユダヤ民族を「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合する」という大目標を定めた。またハルビンでは、ユダヤ人自治区を建設する構想について議論するため、第2回、第3回極東ユダヤ人大会が開催された。

2009年04月12日

冬至(とうじ)

冬至(とうじ)は、二十四節気の一つ。太陽黄経が270度のときで、12月22日ごろ。および、この日から次の節気の小寒までの期間(黄経270-285°)。

北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(実際には数日ずれる。詳しくは昼を参照)。『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。

日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われている。中国北方では餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。

秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。

なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。

また、天文学的な冬至とは別に、慣習的に「一年中で一番昼が短く夜が長い日」のことを冬至と呼ぶことがある。南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、南半球が慣習的な意味での冬至を迎える日は本来の夏至である。
朔旦冬至 [編集]
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。太陰太陽暦では、19年7閏の周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切替となる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりにあたる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。

朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇の784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていた事から、非常に盛大な行事となった。

ただし、破章法を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置する事は不祥ととして、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり回避させる事(「改暦」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、1768年の光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年の朔旦冬至の際に明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わない事とした。

これまでで最後の朔旦冬至は1995年、次の朔旦冬至は2014年である。

1900年?2099年までの冬至の日の数学的な簡易な求め方 [編集]
西暦年数の4での剰余が0の場合

1900年?1988年までは12月22日
1992年?2096年までは12月21日
西暦年数の4での剰余が1の場合

1901年?2025年までは12月22日
2029年?2097年までは12月21日
西暦年数の4での剰余が2の場合

1902年?1918年までは12月23日
1922年?2058年までは12月22日
2062年?2098年までは12月21日
西暦年数の4での剰余が3の場合

1903年?1955年までは12月23日
1959年?2095年までは12月22日
2099年は12月21日

七十二候 [編集]
冬至の期間の七十二候は以下の通り。

初候
乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)
蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)
次候
麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)
麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)
末候
雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す(日本)
水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)

前後の節気 [編集]
大雪 → 冬至 → 小寒

バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

2009年03月28日

海外における差別是正措置

アファーマティブ・アクションは、一般には「差別撤廃」や「積極的差別是正」の方策として、理念的にはとくに問題とされない。しかしながら、その実際的運用や効果測定の場面においては賛否両論がある。

構造的に内在する差別を解消するために、機会不平等の是正策として、特定の民族あるいは階級に対して優遇措置を制度上採用し、例えば貧困層の階級出身の学生に対する生活援助や奨学金などの制度が各国で広く採用されている。このような制度を積極的に採用するアメリカ、インド、マレーシアや南アフリカなどの国々においては、政府機関の就職採用や公立教育機関(特に大学)への入学において、被差別人種とされる黒人やヒスパニック系の人種(白人のヒスパニック系は除く)、あるいは被差別カーストのために採用基準を下げたり、全採用人員のなかで最低の人数枠を制度上固定するなどの措置がとられている。

しかし他方でアファーマティブ・アクションは、「不当」な社会的・経済的格差が確固として存在している場合、特定の制度により採用の機会を平等にしたとしても、実質的にはこれまでの格差に由来してさらに機会に差を生じ、格差は是正されず機会の不均等はさらに拡大するとの議論もある。

各国の事例 [編集]

日本 [編集]
男女共同参画社会基本法の規定による男女共同参画基本計画により、2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%になるよう期待し、各分野の取組を推進と定められており、各分野で積極的にポジティブ・アクションが実行されている。 具体例としては大学入試において女性優遇入試(女子特別枠)や雇用において女性優遇採用(千葉県、大阪府、名古屋大学、東横イン、TOTOなど)がなされている。

障害者については、「障害者雇用枠」が一般募集枠と別に存在し、障害者の雇用の促進等に関する法律に基づく義務雇用率が定められている(50人以上雇用している社・団体について1.8または2パーセント)。

部落差別における同和対策事業特別措置法(1969年7月10日施行、1978年11月13日法律第102号で改正、1982年3月31日失効、1982年3月31日から1986年度3月31日まで有効の法律第16号地域改善対策特別措置法、地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律1987年3月31日法律第22号に引き継がれた)などがこれに類すると考えられる。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

補助措置としては明治時代の1899年に松前藩によって弱者となっていた北海道の先住民であるアイヌを救済し保護するとの名目で北海道旧土人保護法が制定された。これは和人とアイヌとの間の格差を是正し、「同じ日本人」となるような同化政策を行っていくために制定された法律であった。1997年にアイヌ文化振興法の成立に伴い廃止となった。

アメリカ合衆国 [編集]
アメリカ合衆国では黒人やラテン系の平均の学力が低いために進学率が低いことを是正するために大学において一定枠の確保(理想としては黒人の全人口に対する割合と同一の合格確保)が行われている。差別が論拠とされるが非白人で被差別民族であるはずのアジア系(東洋系およびインド系)の人種は成績が全体として高いためにこの優遇措置を受けることができない。またアメリカの大学の入試においては課外活動での活躍が評価され、この分野では総じて白人が有利とされる。よって成績が平均的に優秀であるアジア系が大学入学においての不利とされる。ちなみに課外活動がアメリカの大学の入学審査で考慮されることになったもともとの理由は1920年代に遡り、学力で白人より優秀であったユダヤ人の入学数を有名大学で制限するためであった。この場合は実際の課外活動の内容に関係なく人為的にユダヤ人の点数を下げていた。現在ではこのような人為的な人種別の点数操作はなくなったが、結果として学問に熱心なアジア系の学生に対するハンディとなっている。また最高学府であるはずの大学の入学審査に課外活動が審査基準の一部であることの正当性も問われている。

アメリカの大学入試競争においてはゴールラインが人種枠ごとに別々に引かれてあり東洋系は他人種以上に成績をあげることが必要となる。別にアジア人であるから生まれつき頭がいいなどの科学的事実があるわけでなく成績はあくまで個人の努力の反映であるので、アジア系の人種は特には個々人の事情に関わらず人一倍努力が制度上義務付けられているという逆に差別的な実態が生じている。特にフィリピンやベトナム系のアメリカ人は社会的にも不利な境遇の出身者であることが多く、白人の貧困層出身者と同じで彼らの立場改善に大きな妨げになっていると指摘されている。

プリンストン大学の社会学者のThomas J. EspenshadeとChang Y. Chungの調査によるとアイビーリーグ大学の入学審査における学力以外での基準によるSAT (大学進学適性試験)の修正点は白人をゼロとすると

黒人: +230
ラテン系: +185
アジア系(東洋系、インド系、東南アジア系): ?50
スポーツ特待生: +200
レガシー (元卒業生の子弟および大学への献金者): +160
(満点1600): Study (PDF)と優遇措置対象であると得点一割増し以上、アジア系であると3分引きとなっている。

最近のカリフォルニア州では州立大学の入学審査で住民投票で積極的差別是正措置の適用を禁じる法律が住民投票により採択された。結果として、これらの州立大学(私立は関係なし)で白人の新入生の数は大して変わらなかったが黒人の入学率が下がりアジア系の入学率が上がる結果となった。

また、雇用の面では1964年成立の公民権法に基づき雇用機会均等委員会が設けられ、連邦機関や地方自治体に黒人、少数民族及び女性を、採用の際に一定数割り当てるよう指導した。さらに、連邦労働省連邦契約遵守局が出したガイドラインにより、連邦と一定額以上の事業契約を行う民間企業などは、少数民族に平等な雇用を提供するよう、採用に人種による割り当ての具体的な数値目標を示すことが必要とされた。また、解雇の際も黒人や少数民族を優先保護し、従来の労働慣行を無視して白人を先に解雇することが認められた。

職場における昇進に関してもアファーマティブアクションが用いられており、アラバマ州警察では一時期、最高裁判決に基づき、白人警察官が一人昇進するたびに、自動的に黒人警察官も昇進させる制度が採られた。

マレーシア [編集]
マレーシアではマレー人が華人に対して経済的に低水準であることを解消するため、マハティール政権の下、大学進学や公務員採用でのマレー人優遇、会社役員・管理職へのマレー人登用義務づけなどの措置(ブミプトラ政策)が行われてきた。結果として経済的格差は縮小したが、消滅することはなかった。大学生の知的水準の低下をもたらしたとの批判もある。マハティール元首相は辞任に際して「何を行ってもマレー人を変えることはできなかった」と述べた。

法的議論 [編集]
アメリカにおけるアファーマティブ・アクションで有名な判決はBakke判決、Weber判決、Paradise判決などで、それぞれ教育、職業訓練、昇進に関する判決である。最も直近のアファーマティブ・アクション審理はミシガン大学の入学試験における人種割り当てに関する問題であり、ジョージ・W・ブッシュ大統領はこれを違憲とみなしている。基本的に人員割り当ては違憲であると最高裁で決定されたが優遇措置(成績の引き上げ)は違憲ではないとされた。すべての最高裁判事がアファーマティブ・アクションを逆差別でアメリカ憲法修正14条の違反であると認めたが、違憲の審議において優遇措置の「公共の利益」にたいする判断で判事の判断が分かれ、結果として5対4の僅差で合憲とみなされた。しかしブッシュ政権においてこの裁判で合憲判断を下した二人の判事が引退し保守派とみなされる判事が変わりに就任したため今後の最高裁の判断が注目されている。

2009年03月13日

ホラショヴィツェ

ホラショヴィツェ (チェコ語:Holašovice、ドイツ語:Holaschowitz)は、チェコ南部の村。チェスケー・ブジェヨヴィツェ市から15キロ西にある。南方には景観保護区域であるブランスキーの森がある。村は第二次世界大戦中にも中世の村落構造や南部ボヘミアの民俗的・農村的なバロック様式建造物群が無傷で済んだものの、戦後に放棄された。1990年から修復されて再び人が住むようになり、1998年にUNESCO世界遺産に登録された。

ホラショヴィツェが最初に歴史に登場したのは1263年である。1292年、ボヘミア王ヴァーツラフ2世が村とそれに付随する物をシトー会派ヴィシー・ブロト修道院に寄進した。1848年まで村は修道院の資産の一部であった。

1520年から1525年、ホラショヴィツェはペストの大流行に見舞われ、生き残った住民はわずかに2人だった。村の北端にあるペスト死者墓地に立つ円柱は、この出来事を記念する物である。修道院は次第にバイエルンやオーストリアからの移民を迎えて人口を増やした。1530年、修道院の記録によれば、村の人口は17人になり、チェコ語地域の中のドイツ語圏の飛び地となっていった。1895年、ドイツ系住民157人、チェコ人住民19人となっていた。

第二次世界大戦後のドイツ人追放により、村の多くの農地は放棄され元通りにされなかった。ホラショヴィツェは冷戦時代のチェコスロバキアで荒れ果てなすがままにされていた。

1990年より、村は華美に修復され、定住者がいるようになった。現在の人口は140人ほどである。

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建物 [編集]
ホラショヴィツェはボヘミアの典型的な村落である。23の煉瓦造りの農場中庭からなり、そこに120軒の建物が建っている。どれも村の共有緑地に面した切妻壁がある。共有緑地は、村落の中心にある広々としたもので、魚のいる池と礼拝堂がある。

建物は18世紀から20世紀にかけて建てられたもので、ほとんどが19世紀後半のものである。建築様式は、南ボヘミア地方特有のバロック様式である。集落の中心部にあるネポムクの聖ヨハネ礼拝堂は、1755年に建てられたものである。

2009年02月24日

とっても!ラッキーマン

埼玉県越谷市蒲生に住む日本一ついてない中学生の追手内洋一はある日、宇宙人のUFOの下敷きになり死んでしまう。しかしヒーローのラッキーマンと合体し、生き返った洋一はラッキーマンに変身して、日本や地球、更には宇宙の平和を悪の侵略者からラッキーだけで守っていく。
フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

地球
第3小宇宙にあり、多くの宇宙人が侵略に訪れる。ヒーローもよく来る。
宇宙(第3小宇宙)
ヒーロー協会が存在し、それに認定されたヒーローが宇宙の平和を守っている。実際は大宇宙に存在する16の小宇宙の1つである。
裏宇宙
宇宙とブラックホールでつながった先にある別の宇宙。本来であれば一度入ると戻ってこられないが、救世主マンやサミットの持つ救世手で作られたブラックホールを通ることで戻ることが可能。美的感覚が宇宙と正反対である。
小宇宙
大宇宙に存在する16の宇宙で、各小宇宙にその管理を任せられた小宇宙神がいる。
大宇宙
小宇宙の外に広がる宇宙。大宇宙神がビッグコスモスゴッドリングであらゆるものを創造した。大宇宙の外側に何があるかは不明である。
裏大宇宙
大宇宙と開かずの扉でつながっている宇宙。大宇宙とは敵対関係にあるらしく、大宇宙への侵攻も狙っている。

アニメ
1994年4月6日?1995年3月23日にテレビ東京系列にて放映された。全50話。放送時間は1994年4月から9月28日までは水曜18:00?18:30。1994年10月13日から最終回までは木曜19:00?19:30に放送された。水曜時代は主に1話完結式の内容だったが、木曜移動後は主に指レンジャー編となっている。しかし、やはりアニメ化が早過ぎた為、放映側が原作に追いついてしまって終了する形となった。特に、木曜移動後は同じアニメのクッキングパパ(ABCテレビ制作・テレビ朝日系列)との競合に晒された。最終回は原作を元にしつつも、ヒーローたちが力をあわせて世直しマンを撤退させて終了というオリジナルの展開だった。

またオープニングナレーションは矢島正明だった。その文面は『宇宙大作戦』のパロディと推測される。

その後、原作中にてフジテレビで続編のアニメ化(連載第78話以降の話と推測される)を狙っているかのような表現があったが、結局制作される事はなかった。

特徴・原作との相違点など
一部のキャラクターは言葉を発する際の口パクのアニメーションがない(ラッキーマン、努力マン、スーパースターマン、元祖ラッキーマンなどが該当)。
起こったラッキーの説明に関しては、ラッキーが起こった後に一連の流れが説明されるという手順がほぼ徹底されている(原作では同時進行の解説の方が多い)。またそれらの解説役が幸運の星となっている。
宇宙人達が地球を征服しようとする動機は、原作では大爆発で住処を失ったからだが、アニメでは不況による様々な原因となっている(惑星が倒産した・夜逃げした・自爆したなど)。
洋一がラッキーマンになるエピソードでは、元祖ラッキーマンがコンビニのバイトがあるからという理由で変身用らっきょを渡して帰ってしまい、洋一と合体はしない。
元祖ラッキーマンが拾った天才マンのヒーロー認定書を第1話の時点で渡してないにも関わらず、第46話での回想では変身用らっきょと一緒に渡した事になっている。
原作における季節に関連するエピソードは基本的にその季節に応じて放送されたなど、原作とアニメではストーリーの構成がやや異なっている。そのため原作の段階では登場してなかった努力マン、スーパースターマンが登場することもあった。
原作では、洋一がラッキーマンに変身するときに変身の必要がないときに変身できないと言う設定があったがアニメでは時々変身する事があった。
ヒーロー協会誕生のエピソードでは、ヒーロー神や三本柱マンなどは関与せず、会長は投票によって決められた。
流血するシーンを極力避けている。

2009年02月08日

戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)

戦前・戦中期日本の言論弾圧(せんぜん・せんちゅうきにほんのげんろんだんあつ)。1920年代以降1945年に至る時期の日本において、左翼勢力・自由主義者・宗教団体に対して治安当局が行った弾圧事件、または弾圧と主張される事件の年表。
はにー ファイバ ていん| ジェス オフス たけざお おはじき 一等星 アップ ファー イコノロジー プロテイ ローカル シンプ けん蔵 フリース メモリー はこだて マルチ パルプ シェーバー トライアン ミンク ブティッ 翠の月 ゲスロ コピペ シエラ ネガティブ ずいき ゼンマイ きない トロッ デニール プロデビー ハネム オフタ リヤカー ドーミー カーウォ ボーイ 三和音 ゾル ぎぼう 大逆転 小さい魔女 ソダラ 夢列車 ゴスロ マジッ

戦前期 - 戦中期の日本の言論弾圧には、

非合法的左翼勢力(すなわち日本共産党・共産主義者)およびその関連団体(大衆運動組織)などへの弾圧
合法的左翼勢力(すなわち一部の急進的社会民主主義者)および自由主義的知識人などへの弾圧
体制内の非主流派・批判的グループ(左翼からの転向者が多かった)などへの弾圧
一部の宗教団体への弾圧
等が存在する。この中で弾圧立法として大きな役割を果たしたのが治安維持法であり、幾度かの改正を経て本来の立法意図をすら逸脱し、広い意味での体制批判者を取り締まる法へと拡大解釈されていった。敗戦後、GHQの政策により治安維持法体制は一転して解体に向かった。

1920年 - 1925年
前史ともいうべき時期。第一次世界大戦終結前後から増加した労働組合団体や、第一次日本共産党など幸徳事件後の「冬の時代」を経て復活しつつあった社会主義者への弾圧がなされた。さらに共産主義・反天皇制の運動を取締対象とする治安維持法が制定されたことは言論弾圧の大きな転換点となった。

1926年 - 1932年
前記(1)のタイプの弾圧がピークを迎えた時期。治安維持法を適用し京都学連事件・三・一五事件・四・一六事件事件など、共産党及びそれに近いと見られた合法的大衆団体への弾圧が展開された。この過程で治安維持法改正(厳罰化)がなされた。四・一六ののち共産党は次第に党勢を回復しつつあったが熱海事件によって大打撃を受けた。

1933年 - 1936年
(1)のタイプの弾圧が最終局面を迎え、(2)のタイプの弾圧へと移行しつつあった時期。滝川事件・天皇機関説事件は、弾圧対象が共産主義者のみならず自由主義者の合法的言論活動へと拡大した画期とされる。共産党は獄中被告の転向声明やスパイ査問事件の発覚により組織としてはほぼ解体した。

1937年 - 1940年
(2)のタイプの弾圧がピークを迎えた時期。矢内原忠雄・河合栄治郎・津田左右吉ら大学教員の言論・著作活動が問題化して辞職・主著発禁を余儀なくされ、また共産主義者とは言い難い社会民主主義者の一部が検挙された。さらに政治組織ですらない『世界文化』グループなど研究会・文化サークルの活動も弾圧対象となった。

1940年 - 1945年
体制への批判者がほとんど消滅した状況下で(3)のタイプの弾圧へと拡大していった時期。戦時体制内部で政策的合理化を試みた人々が企画院事件・満鉄調査部事件などにより一掃された。日米開戦を前に予防拘禁制度が新設され、また憲兵・特高の暗躍によって一般民衆が生活のすみずみまで監視される事態になった。

年表
1920年 - 1925年
1920年1月10日:森戸事件。
東京帝大経済学部森戸辰男教授の筆禍事件。森戸・大内兵衛は新聞紙法違反で起訴され有罪。
1920年10月2日:警視庁特別高等課に労働係を新設。
1921年5月9日:日本社会主義同盟結社禁止。
1921年12月:暁民共産党事件[近藤栄蔵ら検挙]。
1921年:第一次大本事件[出口王仁三郎ら不敬罪・新聞紙法違反で起訴]。
1923年6月5日:第一次日本共産党事件[翌1924年3月:解党]。
1923年6月9日:社会主義者高尾平兵衛射殺さる。
1923年9月1日:関東大震災[翌2日:戒厳令施行]
1923年9月4日:亀戸事件[平澤計七・河合義虎らが軍隊により殺害]。
1923年9月16日:甘粕事件。
憲兵大尉甘粕正彦らが大杉栄・伊藤野枝らを殺害。
1925年4月22日:治安維持法公布[5月19日施行]。
1925年12月1日:農民労働党が結成され即日禁止。

1926年 - 1932年
1926年1月15日:京都学連事件本格化。
京都帝大など全国の学生社会科学連合会メンバーが検挙、最初の治安維持法適用事件。翌1927年5月30日:京都地裁による有罪判決。
1926年11月12日:松本治一郎ら全国水平社幹部の検挙。
福岡連隊内差別事件の糾弾運動に対する弾圧。連隊爆破陰謀の容疑。
1928年:三・一五事件。
全国で検挙1568名、起訴483名(初めて治安維持法を適用)。4月10日に報道解禁。
1928年4月3日:ほんみち教祖ら不敬事件で起訴。
1928年4月10日:労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に解散命令。
1928年4月18日:京都帝大は経済学部教授河上肇を追放。
4月23日:東京帝大は経済学部教授大森義太郎、4月24日:九州帝大は経済学部教授向坂逸郎を追放。
1928年6月29日:治安維持法中改正を公布する緊急勅令。
最高刑を死刑とする。1929年3月5日:衆議院で事後承諾案可決。
1928年7月3日:全国の警察署に特別高等課設置。
1928年7月24日:各地裁に思想係検事(思想検事)を設置。
1928年10月6日:共産党書記長渡辺政之輔、台湾・基隆にて警官に追いつめられ自殺。
1929年:四・一六事件[全国で共産党関係者起訴339名]。
1929年3月5日:治安維持法改正事後承諾案に反対した山本宣治代議士刺殺。
1929年、前年の三・一五事件を機に警保局図書課の予算を倍増し、言論弾圧を拡大。
1930年、関東大震災(1923年)以後、およそ毎年1000件であった発売頒布禁止処分の件数が1897件(前年は1095件)へと急増。
1930年5月1日:武装メーデー事件[川崎で竹槍武装デモ行進]。
1930年5月20日:共産党シンパ事件[中野重治・三木清ら検挙]。
1931年5月25日:三・一五と四・一六両事件の統一公判開始。
1932年10月29日:一審判決。
1932年4月:プロレタリア文化団体への弾圧、4日蔵原惟人、7日宮本百合子検挙。
1932年6月29日:警視庁特高課が特別高等部に昇格。
1932年10月6日:赤色ギャング事件
共産党員による銀行強盗事件だが、共産党側は当局のスパイによって扇動された謀略と主張。
1932年10月30日:司法官赤化事件。
東京地裁尾崎陞判事らを共産党シンパとして検挙。
1932年11月3日:共産党中央委員岩田義道虐殺。
1932年11月12日:熱海事件[共産党全国代表者会議の直前に一斉検挙]。

1933年 - 1936年
1933年1月:大塚金之助、河上肇の検挙。
1933年2月4日:教員赤化事件。
長野県下で共産党シンパとされた教員の一斉検挙開始。4月までに65校138名検挙。
1933年2月20日:小林多喜二、検挙され警視庁築地署で虐殺される。
1933年4月22日:滝川事件の始まり。
鳩山一郎文相が京都帝大法学部教授滝川幸辰の辞職を要求。
1933年6月7日:共産党幹部佐野学および鍋山貞親が獄中で転向声明。
これ以後共産党被告の転向が続く。
1933年8月11日:桐生悠々、信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤う」を掲載。
その後問題化し、桐生は退社に追い込まれた。
1933年9月13日:日本労農弁護士団の検挙。
1933年11月28日:共産党委員長野呂栄太郎の検挙[翌1934年2月19日:獄死]。
1934年1月15日:日本共産党査問リンチ事件が発覚。
1934年5月2日:出版法改正公布[皇室の尊厳冒涜・安寧秩序妨害への取締強化]。
1934年6月1日:文部省に思想局を設置。
1935年2月18日:天皇機関説事件の始まり。
貴族院議員菊地武夫、美濃部達吉の議員辞職を要求。4月9日:主著の発禁。9月18日:美濃部の議員辞職。
1935年3月4日:袴田里見の検挙[共産党中央委員会の壊滅]。
1935年12月8日:第二次大本事件。
大本教の出口王仁三郎ら幹部30余名逮捕。翌1936年3月13日:結社禁止。
1936年月1月12日:共産党関西地方委員会の指導分子が検挙され組織壊滅。
1936年5月28日:思想犯保護観察法公布。
1936年5月28日:不穏文書臨時取締法公布。
1936年12月5日:関西の共産党「中央再建準備委員会」の一斉検挙、組織壊滅。
1936年3月24日:内務省がメーデー禁止を通達。
1936年7月10日:コム・アカデミー事件。
山田盛太郎・平野義太郎・小林良正ら講座派研究者および左翼文化団体関係者の一斉検挙。
1936年9月28日:ひとのみち教団(現パーフェクト・リバティー教団)幹部の検挙。
翌1937年4月28日:結社禁止。
1936年11月29日:新興仏教青年同盟の妹尾義郎検挙。
1937年10月20日幹部12名検挙。計29名が起訴。

1937年 - 1940年
1937年11月8日:中井正一・新村猛ら『世界文化』同人の一斉検挙開始。
1937年11月24日:矢内原事件。
東京帝大経済学部長・土方成美、矢内原忠雄教授の言論活動を非難。12月4日:矢内原辞職。
1937年12月15日:第1次人民戦線事件。
山川均・猪俣津南雄らの労農派および加藤勘十・鈴木茂三郎らの左派社会民主主義者を417名検挙。
1937年12月22日:日本無産党および日本労働組合全国評議会の結社禁止。
1938年2月1日:第2次人民戦線事件。
大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授11名ほか24名の検挙。
1938年2月18日:『中央公論』3月号掲載の石川達三「生きてゐる兵隊」発禁。
1938年3月11日:社会大衆党代議士西尾末広の政府激励演説が問題化。
「ヒトラーの如くスターリンの如く」と発言し同月24日に議員除名。
1938年9月13日:「日本共産主義者団」の春日庄次郎ら一斉検挙。
1938年10月5日:東京帝大経済学部教授河合栄治郎の主著発禁。
1938年10月:「京浜労働者グループ」事件。
京浜工業地帯の労働者による研究会への弾圧。講師の企画院属・芝寛が逮捕。
1938年11月21日:ほんみち教団への弾圧。
1938年11月29日:唯物論研究会事件。
岡邦雄・戸坂潤・永田広志・新島繁ら幹部35名が検挙。1940年1月24日:第二次検挙(12名)。1945年8月9日:戸坂の獄死。
1939年1月28日:平賀粛学事件。
東京帝大総長平賀譲、河合栄治郎および土方成美両教授の休職を文相に上申。
1939年3月25日:軍事資源秘密保護法公布。
1939年4月8日:宗教団体法公布。
1939年6月21日:灯台社への弾圧。
明石順三ら計130名の一斉検挙。同年8月27日結社禁止。1942年5月30日:懲役12年の判決。
1940年1月11日:津田左右吉右翼の攻撃により早大教授辞任。
2月12日:主著『神代史の研究』など発禁。3月8日:起訴。
1940年2月2日:斎藤隆夫代議士「反軍演説」事件。
戦争政策を批判した衆議院での演説が問題化。3月7日:議員除名処分。
1940年2月6日:生活綴方運動への弾圧開始。村山俊太郎ら検挙。
運動関係者・『生活学校』関係教員約300名を検挙。
1940年8月25日:賀川豊彦、反戦平和論により憲兵隊に拘引。

1941年 - 1945年
1941年1月:企画院事件の始まり。調査官の稲葉秀三・正木千冬・佐多忠隆検挙。
京浜労働者グループ事件で逮捕された芝寛の自供を元に、左翼前歴者の多い企画院内若手判任官の研究会を摘発、岡倉古志郎・玉城肇ら逮捕。稲葉らの検挙を経て4月に和田博雄・勝間田清一・和田耕作ら検挙。
1941年3月10日:治安維持法全面改正公布[予防拘禁制度の新設]。
1941年5月15日:予防拘禁所設置。
1941年10月15 日:尾崎秀実検挙。ゾルゲ・尾崎事件の始まり。
10月18日:リヒャルト・ゾルゲ検挙。1944年11月7日:処刑。
1941年12月9日:全国の治安維持法違反被疑者・要視察人・予防拘禁予定者計396名を検挙・検束・仮収容。
1941年12月19日:言論出版集会結社等臨時取締法公布。
1942年4月24日:尾崎行雄、選挙演説で不敬罪で起訴。
翼賛選挙における非推薦候補の運動に対する全国的干渉の一環。
1942年6月29日:中西功ら上海反戦グループ(「中共諜報団」)の検挙。
1942年9月12日:横浜事件の始まり。
細川嘉六「世界史の動向と日本」を掲載した『改造』の発禁(14日:細川の検挙)。また同月、世界経済調査会の川田寿・定子夫妻が神奈川県警察部特高課に検挙。1943年5月26日:細川および中央公論社・改造社社員の会合を共産党再建会議と見なし検挙開始(泊事件)。1944年1月29日:前期2社のほか日本評論社・岩波書店・朝日新聞社の編集者、昭和塾関係者を検挙(合計49名)。7月10日:『中央公論』『改造』廃刊命令。
1942年9月21日:満鉄調査部事件。調査部の具島兼三郎・大上末広ら検挙。
翌1943年7月:伊藤武雄・石堂清倫ら検挙。
1943年1月1日:中野正剛の「戦時宰相論」を掲載した朝日新聞の発禁。
1943年3月13日:戦時刑事特別法公布。
1943年3月15日:大阪商大事件。
名和統一教授および急進的学生グループなど20名が検挙。
1943年3月15日:『中央公論』掲載の谷崎潤一郎「細雪」連載禁止。
1943年6月3日:きりしま事件。鹿児島県警察部特高課長・奥野誠亮が主導したフレームアップにより俳句誌『きりしま』の同人3名を始め総勢37名を治安維持法違反で検挙。
1943年6月20日:創価教育学会の牧口常三郎・戸田城聖ら検挙。
1944年2月23日:竹槍事件。
毎日新聞「竹槍では間に合わぬ」の記事で差し押さえ。
1945年2月:戦争敗北の流言が広まり東京で1月以来40余件が送検。
1945年8月15日:終戦。対連合国軍降伏。
1945年9月1日:降伏文書に調印。米軍による占領開始。
1945年9月10日:GHQが検閲を始める。
1945年9月19日:GHQ、プレスコードを指令。
1945年9月26日:三木清の獄死。
1945年9月27日:GHQ、日本政府による検閲を停止させ、新聞等を自らの支配下に置く。
1945年10月4日:GHQ/SCAP、政治・信教・民権の自由制限撤廃の覚書発表。治安維持法廃止指令。
1945年10月10日:政治犯約3000名釈放。
1945年10月15日:治安維持法・治安警察法・保護観察法など廃止。特高警察官罷免。

2009年01月23日

ロックマンXシリーズでも特に人気の高かったキャラクター

ロックマンXシリーズでも特に人気の高かったキャラクター、ゼロを主人公に置いたシリーズで、舞台もXシリーズの100年後の未来(初代ロックマンシリーズの200年後)という設定。完成度の高い2Dアクションと、シリアスな世界観を特徴としている。

基本アクションはXシリーズを継承しているが、ボスを倒す事以外にも目的が存在するステージ、育成要素の強い「サイバーエルフ」という強化システムなど、従来のシリーズとは一線を画す新要素が数多く登場している。第一作目では特にこの傾向が強かったが、二作目以降から次第にロックマンシリーズやXシリーズに近いシステム性へと回帰していった。また、基本的に4作品とも全16ミッション構成(これはシリーズ続編のロックマンゼクスシリーズにも受け継がれている)。

ボス戦も今までのシリーズと大幅に異なっており、2作目以降は条件を満たすことで「EXスキル」という専用技を入手できるものの、基本的にボスを倒しても特殊武器は得られない。その代わりボスには雷、炎、氷、無の4つの属性があり、無属性以外のボスは弱点属性(雷→炎→氷→雷の3しくみ)を突くことで有利に戦うことができるようになっている。 ボスの名称はXシリーズと同じ「?・?」だが、前半が能力、後半がモチーフとなった動植物といった型はなく、名称内に多数の意味が込められていることが多い。また、ボスの異名のほとんどが当て字を含んでいる。 また、Xシリーズではまだない女性の8大ボスも登場している。

製作はインティ・クリエイツ。同社には初代ロックマン、初期のXシリーズ開発に携わっていた元カプコン社員も在籍しており、実際に本シリーズの開発も担当している。また、カプコン第二開発部部長の稲船敬二は、ロックマンXの主人公はゼロにしたかったと話しており、本作はそれが実現したものとも言える。

2006年以降、様々な場でスタッフによる「ゼロシリーズは完結した」という旨の発言がなされている事[1]、またゼロシリーズの直続編的作品である「ロックマンゼクス」が発売された事などから、シリーズ存続の可能性は低いという見方が強いが、続編を望む声は今も絶えない。

シリーズ
ロックマンゼロ (GBA) (2002年)
ロックマンゼロ2 (GBA) (2003年)
ロックマンゼロ3 (GBA) (2004年)
ロックマンゼロ4 (GBA) (2005年)

主なキャラクター
カッコ内に記載されているZ1といった記述は登場シリーズの略称。(Z1:ロックマンゼロ、Z2:ロックマンゼロ2、Z3:ロックマンゼロ3、Z4:ロックマンゼロ4)

レジスタンス
ゼロ (ZERO) (声優:風間勇刀)
伝説のレプリロイド、本シリーズの主人公。十の光る武具の一つ、ゼットセイバーを持つ。伝説の英雄エックスとは誰よりも強い絆で結ばれた親友同士である。妖精戦争後、100年にわたって封印されていた。シエルによって目覚めた後はレジスタンスに協力することとなる。ロックマンXシリーズのゼロとは同一人物であるが、風貌がかなり異なる(体の色が赤・白主体から赤・黒主体になった、声優も異なる)。これはそれぞれのシリーズにおける視点の違いに起因するものであり、本来の外見などは全く変わらないというのが公式の見解である[2]。パッシィ(サイバーエルフ)によって強引に眠りから覚めたゼロはその記憶の殆どを失っており、Xシリーズでの出来事をあまり覚えていない。そのためか性格がXシリーズよりもクール(無口)になっている(Z1では最終ステージ以外ではほとんど喋らない)。レジスタンスと打ち解けてきたのか、Z3以降はシエルを慰めるなど、口数が多くなっている。ネオ・アルカディアとの闘いの最中、その記憶を断片的に蘇らせていく事となる。Z3にて自身の体に関する秘密を知るが、彼の心は揺るがなかった。Z4終盤にて、ラグナロクと融合したバイルとともに大気圏へ突入、消息を絶っている。 『破壊神』『英雄』など、劇中でのゼロに対する認識、呼称は様々。当人はそれに縛られることなく最後まで自分が信じる者のために戦い続けた。
シエル (Ciel) (声優:田中理恵)
ネオ・アルカディアの優秀な科学者を産出する計画に基づき、遺伝子操作によって産まれた人間の少女。Z1の時点での年齢14歳。かつてはネオ・アルカディアに所属していたが、現在は処分を免れたレプリロイド達と共に生活し、レジスタンス活動を行っている。聡明で、多くのレプリロイド達から慕われている。
彼女がレプリロイドを救おうとする理由は、自分がエックスの代行として製作したコピーエックスのせいで、多くの無実のレプリロイドが処分されることになった責任からでもある。レプリロイドやサイバーエルフの研究を主としているが、エネルギー不足を解消する為の新システム「システマ・シエル (System-a-Ciel)」を開発したり、若いながらもレジスタンスの司令官を務めるなど、その才能は多岐にわたる。レジスタンスとして活動してはいるが争いを好んでおらず、科学の力による平和的解決を望んでいる。その為、強行派である新司令官エルピスとはしばしば意見が対立していた。ゼロには愛情にも似た感情を抱いている節がある。
ババロア フィラン マッチン ビジネス ハワイ ヒューズ ダグアウト マルチ プレムハブ スノーフ 流星群 にんきょう ミステ ぶんぶん ブラテ ハイヒール シングル ラバト ブルンジ バックオ ナッソー トラン ラムサー 鈴蘭 セラセラ つるみ マルセイ コピーイノ ゲーター ブラッド トパイ バーバレ パブリ レベニュ フォーム メタ いささや ハイウエイ ダルトン ハリアー ビーコン ガター サイドカー あぼがど ジンセン スプリング ユリノ ジャーゴン アニムス ビッドレ

セルヴォ (Cerveau)
レジスタンス一の技術者。さまざまな武器を開発して、ゼロに与える。武器開発に明け暮れるあまり、1週間近くもエネルゲン水晶の補給を忘れてしまうほどの熱中ぶりである。シエルに対し父親にも似た感情を持っており、シエルを影ながら支える功労者でもある。
アルエット (Alouette) (声優:広橋涼 - CDドラマ)
サイバーエルフの世話をしている女の子のレプリロイド。アルエットという名前はシエルにつけてもらった。シエルを尊敬しており、シエルに作ってもらったぬいぐるみを常に抱いている。将来はサイバーエルフを研究するのが夢。
オリジナルエックス (Original X) (Z1〜3)(声優:水島大宙 - CDドラマ)
100年前、ゼロと共に戦った伝説の英雄。十の光る武具の一つ、エックスバスターを持っていた。ネオ・アルカディアの指導者でもあったが、自らのボディをダークエルフ封印のために差し出し、現在はサイバーエルフとなっている。ゼロ同様、旧シリーズとは風貌がかなり異なっており、さらに口調も変わっている(一人称が「俺」から「僕」になっているなど)。度々ゼロ達の前に現れ、僅かながらのサポートや助言を与えていた。しかし、Z3のエンディングで力を使い果たし、人間とレプリロイドの未来をゼロに任せ、サイバー空間へと去っていった。
コルボー (Colbor) (Z1、Z4)
レジスタンスのメンバー。通称「コルボー・チーム」のリーダー。行動的だが、おっちょこちょいな点が目立つ。Z4では、ネオ・アルカディア壊滅後の人間の救出作戦の現場指揮を取っていた。
アンドリュー (Andre) (Z1〜3)(声優:西川幾雄 - CDドラマ)
レジスタンスに同行している。元はパン職人だったらしく、その前は船乗りや教師もしていた。昔人間の女性と恋仲となり彼女だけ老いていく事に心を痛め、シエルに嘆願して老人型に改造してもらった。封印される以前のゼロを知っていた節がある。ちなみに、あることをすると若返る。

四天王
翠緑の斬撃 賢将ハルピュイア (Harpuia) (Z1〜3)(声優:緒方恵美)
エックスのデータを基盤として誕生した、ネオ・アルカディア四天王 (The Big Four) のリーダー格。十の光る武具の一つ、ソニックブレード(二刀流)を持つ。誇り高い性格で、エックスを政治面で補佐していた。「烈空軍団」を率いる。気象操作能力を持ち、レヴィアタンとの連携で、人間が生活できる環境を拡大するのが主な任務。
エックス(オリジナル、コピー含め)を崇拝し、人間を守る事を絶対としているが、コピーエックスの統治しているネオ・アルカディアの在り方に少なからず疑問を持っている節もある。コピーエックスの死後はネオ・アルカディアの指揮代行を務めていたが、コピーエックスMk2復権後、度重なる失態を指摘され、レヴィアタンやファーブニル共々幹部の座を追われてしまった。その後、バイルによってネオ・アルカディアが掌握されてしまった事から、人間たちを守るためにネオ・アルカディアと離別している。それ以降の足取りに関しては作中で明言されなかったが、後にスタッフインタビュー等で彼らのその後が語られている(詳細は四天王参照)。ゼロとの戦いを通してレジスタンスの考えも理解示すようになり、Z3でオメガに重傷を負わされて助けられたりと、ゼロとは互いにライバル関係にある。名前の由来は、ギリシャ神話に登場する妖鳥ハーピーの別名。
蒼海の海神 妖将レヴィアタン (Leviathan) (Z1〜3)(声優:今井由香)
四天王の紅一点で、水中戦が得意。十の光る武具の一つ、フロストジャベリンを持つ。「冥海軍団」を指揮する。部下は熱血漢が多い。普段はクールだが、ゼロと対峙して以来、彼に愛憎の入り混じったような執着心を抱き、感情的な振舞いが見られるようになる。ハルピュイアとの連携で対流圏操作を行い、人間の生存圏を再生する事が主な任務。「地上はホコリっぽい」という理由で水中に居ることが多い。名前の由来は、旧約聖書に登場する海の怪物レヴィアタン。
紅蓮の豪腕 闘将ファーブニル (Fefnir) (Z1〜3)(声優:中井和哉)
四天王の一人で、対レジスタンス焦土作戦を執行する「塵炎軍団」のトップ。十の光る武具の一つ、ソドム&ゴモラ(マルチプルランチャー)を持つ。前線で戦うことを好む。常に己の強さに見合う好敵手に飢えており、事ある毎にハルピュイアを挑発しているが、これはファーブニルがハルピュイアの力を認めている事の表れである。ゼロに敗北した後は彼との決着に固執するようになる。自ら前線に立って戦う事を好むせいか、他の軍団に比べて所属レプリロイドが極端に少ない。レヴィアタン曰く「戦闘バカ」。名前の由来は、北欧神話やゲルマン神話に登場するファフニールの別名。武器のソドム&ゴモラとは、旧約聖書に出てくる天からの火で滅ぼされたという都市の名前である。
漆黒の幻影 隠将ファントム (Phantom) (Z1、Z3)(声優:稲田徹)
四天王の一人で、「斬影軍団」の頭領。十の光る武具の一つ、闇十文字(手裏剣)を持つ。隠密行動に長けている。四天王の中では温厚・寡黙な性格であるが故に、周囲から甘く見られている。が、エックスに対し絶対的な忠誠を誓っており、その存在を脅かす者には一片の情けもない。ゼロとの闘いで敗北し自爆するが魂は消滅せず、現在はサイバー空間に身を潜め、死してなおエックスを守護する。その世界で、ゼロの秘密を全て知り、サイバー空間で再開した際勝負を挑むが、「英雄としての魂は本物」とゼロを認めて去っていった。Z2で復活予定があり、アームドフェノメノンのデザイン画はZ3のヘルバット・シルトに酷似している。名前の由来は、西欧で亡霊・幽霊という意味を持つファントム。

2009年01月16日

橘諸兄


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橘諸兄(たちばな の もろえ、天武天皇13年(684年)- 天平勝宝9年1月6日(757年1月30日))は、奈良時代の政治家・元皇族。父は美努王、母は県犬養橘三千代。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)。子に奈良麻呂がいる。初代橘氏長者。

敏達天皇の5世(もしくは4世)子孫で諸王であったが、天平8年(736年)、弟(佐為王)と共に母・橘三千代の姓氏、橘宿禰を継ぐことを願い許可される。これ以後、橘諸兄と名乗る。この王の位を捨て、わざわざ朝臣より下の宿禰の姓(かばね)を授かると言う一見不可思議な行為は、藤原氏に対する処世術では無いかと推測される。

天平9年(737年)、疫病の流行によって藤原四兄弟が相次いで亡くなり、続いて舎人親王を初めとして多くの政府高官が死亡して議政官がほぼ全滅し、出仕出来る公卿は従三位左大弁諸兄と同大蔵卿鈴鹿王のみとなってしまった。そこで急遽この年の8月24日に諸兄を次期大臣の資格を有する大納言に、4日後に鈴鹿王を知太政官事(太政大臣と同格で皇族であることのみが任用条件)に任命して応急的な体制を整えた。翌10年(738年)1月13日に、諸兄は正三位右大臣に任命されて一躍朝廷の中心的地位に出世する事になった。

これ以降の国政は、事実上橘諸兄が担当し、聖武天皇を補佐する事になる。天平15年(743年)5月5日には従一位左大臣になっている。天平感宝元年(749年)には正一位に陞階。生前に正一位に叙された人物は日本史上でも数少ない。孝謙天皇の時代にはいると藤原仲麻呂(恵美押勝)の発言力が増し、天平勝宝7年(755)聖武上皇の病気に際して酒の席で不敬の言があったと讒言され、同8年(756年)2月2日辞職を申し出て、以後隠居し、同9年(757年)1月6日に亡くなった。

橘諸兄の死後、同年に息子・奈良麻呂は謀反(橘奈良麻呂の乱)を起こし獄死している。

大伴家持と親好があり、『万葉集』の撰者の一人といわれている。これは、『栄華物語』月の宴の巻に、「むかし高野の女帝の御代、天平勝宝5年には左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等集りて万葉集をえらび給」とあり、これが元暦校本の裏書に、またある種の古写本の奥書にもはいったことが、一定の信憑性をもつものである。のちに、仙覚は橘、大伴家持の2人共撰説を唱えるにいたった。

『万葉集』には7首の歌を残している。

系譜
敏達天皇の5世(もしくは4世)孫に当たる。

祖父:栗隈王(くりくまのおおきみ、壬申の乱当時の筑紫率(大宰帥の前身))
父:美努王(みぬのおおきみ、藤原不比等説あり)
母:県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)(橘三千代)
弟:佐為王(さいのおおきみ、橘佐為)
妹:牟漏女王(むろのおおきみ) 藤原房前の妻
異父妹:光明皇后(藤原不比等の娘。聖武天皇の皇后)

妻:藤原多比能(不比等の娘)
嫡子:橘奈良麻呂
庶子:橘清野

官歴
684年 産まれる (1)
710年1月7日 従五位下 (27)
711年12月2日 馬寮監(めりょうげん)(28)
721年1月10日 従五位上 (38)
723年1月10日 正五位上 (40)
724年2月22日 従四位下 (41)
729年3月4日 正四位下 (46)
729年9月28日 左大弁
730年9月27日 兼 催造司の監(かみ) (47)
731年 8月           参議 (48)
732年1月7日 従三位 (49)
736年11月11日 臣籍降下し、橘宿禰の姓氏を賜る。 (53)
737年8月24日 従三位 大納言 (54)
738年1月13日 正三位 右大臣 (55)
739年1月13日 従二位 (56)
740年11月21日 正二位 (57)
743年5月5日 従一位 左大臣 (60)
746年4月5日 兼 大宰帥 (63)
749年4月14日 正一位 (66)
750年1月16日 朝臣の姓を賜る (67)
756年2月2日 辞職 (73)
757年1月6日 卒 (74)
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