ユダヤ専門家にとって不運なことに、1933年8月、満州の都市ハルビンでユダヤ人ピアニストのシモン・カスペ(Simon Kaspe)の誘拐・殺害事件が発生したのである。この時の日本側の対応が、ハルビン在住のユダヤ人に不信感を抱かせた。
シモンは、ロシア出身のユダヤ人大富豪のヨゼフ・カスペ(Josef Kaspe)の息子で、たまたまハルビンに帰省した際に何者かに誘拐され、同年12月、遺体で発見された。両手の生爪を剥がされ、耳を削がれた上、頭部に銃弾を撃ち込まれるという凄惨なものであった。この様な「制裁」の加え方は現在でも、中華人民共和国となった旧満州地域で偶にみられる。のちに日本人の一味が逮捕されたが、関東軍は、裁判で有罪の判決を下した中国人判事を逮捕した。日本人判事による再審の結果、被告らには10年?15年の不定期刑が下されたが、翌週には特赦により釈放されたのである。
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もはや日本の軍部を信頼できなくなったハルビン在住のユダヤ人(当時既にかなりの人数が在住していた)は、事件の2年後には大半が市外に逃れた。彼らの多くは遠く上海へ逃れ、出会った者達に恐怖の体験を語った。軌道に乗ると思われた計画は、大きな壁に直面した。
1937年に、安江はハルビンで現地のユダヤ人指導者のアブラハム・カウフマン(Abraham Kaufman)らと会談し、「日本人は改心した」と彼らに確信させた。同年12月26日、第1回極東ユダヤ人大会がヨゼフ・カスペ所有のモデルン・ホテルで開かれた。関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ専門家」の安江をはじめ、当時ハルビン陸軍特務機関長を務めていた陸軍少将樋口季一郎らを派遣した。
この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるドイツの反ユダヤ政策を激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。これを知ったドイツ外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップは、駐日ドイツ特命全権大使を通じてすぐさま抗議したが、上司に当たる関東軍参謀長東條英機が樋口を擁護し、ドイツ側もそれ以上の強硬な態度に出なかったため、事無きを得た。
翌1938年1月、関東軍は「現下ニ於ケル対猶太(ユダヤ)民族施策要領」を策定し、世界各地のユダヤ民族を「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合する」という大目標を定めた。またハルビンでは、ユダヤ人自治区を建設する構想について議論するため、第2回、第3回極東ユダヤ人大会が開催された。